「これらのことを話したのは、あなたがたが私によって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている。」(ヨハネ16・33)
この世においては、皆が喜ぶ勝利ではなく、一部の人だけが得をし、利益を得る勝利の方が圧倒的に多く、自国の利益を脅かす国を打ち負かすことが繰り返されています。主イエスは弟子たちに「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている。」と言われました。この世で苦難があるのは、多くの人が、自分だけが勝利者になろうとするからです。しかしイエスは、「私はすでに世に勝っている」と言われました。ではその勝利とは如何なるものなのでしょうか。
キリストの平和による勝利
主イエスは、この世が与えられない平和を私たちに与えると言われました。
「私は、平和をあなたがたに残し、私の平和を与える。私はこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」(ヨハネ14・27)
世が与える平和とは、イエスがこの世に来てくださった時代のローマの平和が象徴しています。一つの巨大権力が圧倒的な力で世を支配し、いつ自分が不当な扱いで処罰されるか分からず、もし自由な発言をして、それがローマ帝国への謀反と見なされれば、投獄され処刑されてしまうと人々は怯えているのです。
争いがない事は、一見平穏に見えても、人々の心に平和はありません。今の世界においても、世が与える平和とは、誰かの支配の中で誰かが苦しめられているという構図があります。
しかし、主イエスが与える平和はそうではありません。かつて主と主の弟子たちが、ガリラヤ湖の沖へと舟を出したとき、突然激しい嵐に見舞われ、弟子たちは慌てふためいたが、主は、そんな中で、眠っておられました。イエス・キリストの平和は、世界情勢、置かれた状況、環境に左右されない平和です。主イエス・キリストは、この平和によって既に世に勝っていて、その平和を私たちに与えることができるお方です。
キリストの愛による勝利
そして主イエスは、愛によってすでに世に勝っているお方です。罪に堕落した世は、偏った愛、条件付の愛、不完全で自分勝手な愛で満ちていますが、イエスの愛は、御自分のすべてをすべての人に与える愛であり、無条件の愛です。
主が召し上げた弟子たちは、主と共に歩みながらも、自分たちの事ばかり考え、誰が一番かを議論していました。そんな彼らの足をイエスは洗われました。それは当時、異邦人の奴隷がすることでした。イエスは、僕の姿を取られ、彼らを最後まで愛し抜かれたのです。
そして主は十字架で、私たちを敗北させる罪をことごとく滅ぼし、私たちがキリストの愛と平和を受け、生き、キリストの愛と平和による勝利を与えました。主イエスは、死んでよみがえったから勝利者なのではなく、既に勝利者であり、十字架で私たちの罪を滅ぼし、よみがえられたのです。主イエスは、弁護者なる聖霊を私たちに与えてくださったのです。
聖霊は、私たちをキリストの愛と平和で満たし、私たちが誘惑、試練、迫害、憎しみ、死に直面するなかでも、勝利し続ける者としてくださったのです。だから既に世に勝っている主イエス・キリストにあって、私たちも愛と平和によって勝利し続けることができるのです。
ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)