すべてにまさる御子イエス

ヘブライ人への手紙は、御子イエスを「何々にまさる方」として証言しています。
 
すべての預言者にまさる御子イエス

「神は、かつて預言者たちを通して、折に触れ、さまざまなしかたで先祖たちに語られたが、この終わりの時には、御子を通して私たちに語られました。」(1・1~2)

「かつて」とは、旧約聖書の時代の多くの預言者を通して語られたということです。預言者は、特別な能力を持った人ではありません。神から言葉を預かり、神の言葉を人々に伝えた人たちです。そして、この終わりの時には、すべてにまさる御子イエスを通して私たちに語りました。

神が御子を通して、語られる終わりの時というのは、もうすぐ終わってしまう、何もかもがなくなる。恐ろしい時へのカウントダウンではなく、むしろ、御子によって語られた救いが完全な形で成し遂げられる時に向かっているのです。それが終わりの時です。

ヘブライ人への手紙は3章で、御子イエスはモーセにまさる方であることが告げられています。御子イエスがモーセより他の預言者にまさるお方であるのは、モーセは、神の言葉を預かり、民に告げ知らせましたが、御子イエスは、ご自身が神の言であるということです。 

「神は、御子を万物の相続者と定め、また、御子を通して世界を造られました。」(1・2)

ヨハネによる福音書1章1節では、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」と始まります。終わりの時、神の言が、真の人となって世に来られ、語られた。新しい創造のために、それが御子イエスです。

「御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の現れであって、万物をその力ある言葉によって支えておられます。」(1・3)

神の言である御子イエスは、今も変わらず、私たちを含めた造られたものすべてを力ある言葉によって支えておられるのです。御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の現れとあります。

御子イエスが、神の栄光の輝きで、神の本質の現れ、似ているのではなく、神ご自身を現している。つまり御子イエスは真の神であると言っているのです。御子イエスは、すべての預言者にまさるお方、神の言であり、真の神であるお方で、今も私たちを新しく創造するために語り続けてくださっているのです。

すべての大祭司にまさる御子イエス

「そして、罪の清めを成し遂げて、天の高い所におられる大いなる方の右の座に着かれました。」(1・3)

人は、神にかたどって造られましたが、罪に堕落したので再創造のために、御子イエスによって罪からの救い、罪から清められる必要があります。御子イエスは、そのためにすべての大祭司にまさるお方として来られました。

3節のところで御子が「大いなる方の右の座に着かれた」とあります。父なる神の右の座です。御子は初めから神の右の座におられ、この世に来られ、罪の贖いを成し遂げ、天に戻られ今も神の右の座におられます。

あのステパノがイエスを証しする中、石を投げられたとき、天が開け、御子イエスが立ち上がって執り成しておられるのを見たように、今も、私たちのために執り成してくださっておられるのです。大祭司の大きな役目は、執り成しです。聖なる神と罪深い人間との間を取り持つのです。

御子イエスがこの世に来られた時は、他の祭司と違って、罪の犠牲の動物を用意する必要はありませんでした。ご自身が完全ないけにえ、捧げものであり、罪の贖いを成し遂げることがおできになるお方だからです。

神は、終わりの時に御子によって語られました。それは神の言である御子イエス自らが私たちの罪を背負って、十字架の愛の犠牲による業を通して語られました。 父なる神は、御子イエスの犠牲を受け入れ、御子イエスを死者の中から復活させ、御子を信じる者に永遠の命を約束されました。

すべてにまさる御子イエスとは、他の預言者のように御言葉を預かり、告げ知らせるだけでなく、御子イエスご自身が神の言であり、すべてを造られ、今もすべてを支え、造り変えてくださるお方です。そして、御子イエスは、完全ないけにえとしてご自身を捧げ、罪の贖いを成し遂げ、死者の中から復活され、今も永遠の大祭司として生きておられ、私たちを執り成してくださっているのです。

御子イエスはすべてにまさる預言者であり、大祭司なのです。ですから私たちも御子イエスに守られ、養われ、支えられて、神の言葉を語り、執り成しの祈りをささげる者として歩みましょう。

ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)