今日という日の内に、日々励まし合いなさい

『今日、あなたがたが神の声を聞くなら 荒れ野で試練を受けた頃 神に背いた時のように 心をかたくなにしてはならない。』(ヘブライ3・7〜8抜粋)

エジプトの奴隷から解放された民は、何度も神の偉大な御業を見続けたのですが、神を信頼し続けることができず、その心は頑なで不信仰に陥りました。でも、それは、他人事ではありません。

「きょうだいたち、あなたがたのうちに、不信仰という悪しき心が芽生えて、生ける神から離れ去る者がないように気をつけなさい。」(3・12)

その悪しき心が芽生え、育ってしまうならば、生ける主なる神から離れ去るということになりかねないのです。私たち一人一人がそうならないように、神の声(御言葉)を聞き、養われ、導かれることが大事なのです。

そして、ここで注目すべきことがもう一つあります。それは、生ける神から離れ去る者がないように気を付けなさいと言っている点です。

自分がしっかり立っていれば、それでよいのではありません。誰一人、そこから離れ去る者がないように気を付けなさいと強く勧められているのです。それでは、どう気を付けるのでしょうか。

「あなたがたのうち誰一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、「今日」という日のうちに、日々、励まし合いなさい。」(3・13)

私たちは日々励まし合うのです。私たちを取り巻く環境は、日々変化しますがその中で、私たちは互いに励まし合って歩むのです。私たちの内におられる聖霊様は、慰め主、励まし主ですが、聖霊様を宿す私たちお互い同士が、御言葉に聞き、御言葉に励まされたことをお互いに分かち合い、お互いを励ますのです。私たち各々に励ましを与えた御言葉を誰かと分かち合うと、その人を励ます力にもなるのです。

「私たちは、初めの確信を終わりまでしっかりと保つなら、キリストにあずかる者となるのです。」(3・14)

初めの確信、イエスを信じ救われた時の確信です。その確信を終わりまでしっかりと保つためには、御言葉に養われ、神の家であるお互い同士が日々励まし合って生きるのです。しかも「今日」という日の内に、日々励まし合うのです。私たちはお互いのために祈るのです。あの方、どうしているかな。大丈夫かなと思って祈ると共に、今日という日の内に、日々励まし合うのです。

そのうちではなく、今、今日だと勧められています。今日、励まし合うべき兄弟姉妹がいるでしょうか。

「キリストにあずかる者となるのです」とありますが、あずかるとは、共有するという意味です。「キリストにあずかる者」とは、キリストを分かち合う。キリストの救いの恵みを分かち合う者となるのです。私たちは、そのために、今日という日に、日々、励まし合うのです。

ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)