あなたの神は私の神です

「士師たちが世を治めていた頃、国で飢饉が起こったので、ある男がユダのベツレヘムからモアブの野に身を寄せようと出かけて行った。妻と二人の息子が一緒であった。」(ルツ1・1)

ベツレヘムという地名には、パンの家という意味がある通り、穀倉地帯なので、ここに飢饉が起こるとイスラエルの国全体が飢饉となるのです。エリメレクとナオミの家族は、飢饉を逃れるために、モアブの地に移り住んだのです。

モアブの地は、偶像が拝まれている地です。真の神が導いた約束の地ではありません。ですから、イスラエルの民にとっては、モアブの地に移り住むことは、主なる神への信仰が問われることでした。

飢饉の中でもベツレヘムに留まるか、それともモアブの野に移住するか、信仰の決断を迫られることでした。私たちは、どうでしょうか。困難を克服するために、とりあえず、物質的な必要が満たされることを優先するあまり、神様の御心から離れてしまうことがないでしょうか。御言葉に聞くよりも、祈るよりも、礼拝、祈祷会よりも、目に見える現実への対策が大事だと思ってしまうことはないでしょうか。どんなときも、主なる神を第一とし、主を信頼する者でありたいのです。

妻のナオミは、心の中で、ベツレヘムを離れて本当に良いのかと思ったに違いないのですが、当時は、家長である夫の言うことは絶対だったので、一緒について行くしかなかったのでしょう。ところが、モアブについて間もなく、何と夫エリメレクが死に、ナオミはモアブの地で、未亡人になってしまうのです。その後、二人の息子たちがモアブの女性と結婚し、10年間は、平穏な暮らしが続いたのですが、なんと病弱だった二人の息子も死んでしまうのです。

夫、息子を失うということは、この当時としては、すべての財産を失うのと同じことを意味しました。将来への希望を失ったのです。モアブの野での10年間は、持っていると思われたすべてを失ってしまったのです。

しかし、そのときナオミは、ベツレヘムに戻ることを決意するのです。嫁のオルパとルツもナオミと共にベツレヘムに行くことを望みますが、オルパは渋々モアブに帰って行きます。しかし、ルツは、ナオミにこう言うのです。「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰るなど そんなひどいことをさせないでください。あなたが行かれる所に私は行き あなたがとどまる所に私はとどまります。あなたの民は私の民 あなたの神は私の神です。」(1・16)

ナオミは、深い悲しみ、痛みの中でも、自分が信じている唯一真の神をルツに証ししたのです。ルツは、自分たちを見捨てることなく顧みてくださる主なる神がナオミと共におられると信じ、ルツは、「あなたの神は私の神です」と信仰を告白したのです。ナオミは、この苦難の中で信仰の子ルツを生んだのです。

私たちと一緒にいる家族は、私たちが信仰者としてどう生きるかを見ているでしょう。苦難の中で、もう神を信じられないと、別の手段を選ぶのではなく、ただ、主を崇めつつ、ナオミの信仰に倣ったルツの信仰、私の神はあなたの神ですという告白する者であろうではありませんか。

ウェスレアン・ホーリネス教団 浅草橋教会(牧師・山崎 忍)